1976-06-23 第77回国会 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第10号
そして、四十七年の七月一日の丹羽運輸大臣通達におきましては、ここは、「将来、国内幹線のジェット機による自主運航を認めるものとする。」その時期は昭和四十九年度を目途とするというふうに言われておるわけであります。どこが違っておるか、この問題です。
そして、四十七年の七月一日の丹羽運輸大臣通達におきましては、ここは、「将来、国内幹線のジェット機による自主運航を認めるものとする。」その時期は昭和四十九年度を目途とするというふうに言われておるわけであります。どこが違っておるか、この問題です。
これは明確に、いま私が読み上げたとおりに丹羽運輸大臣通達は言っておるのであります。そして、四十五年の閣議了解、これもまた、先ほど私がはっきり申しましたように、企業基盤の充実強化、これが大前提にされているんです。ですから、理論的に言えば、この閣議了解どおりに実行されていったとするならば、この丹羽運輸大臣通達が出たときには、もう新会社は経営基盤が強化されている。
きょういろいろと、いままでの質疑の中でも、これから後に引き続くいわゆる佐藤試案であるとか丹羽運輸大臣通達であるとかいう方向に向かってこの後進んでいくその問題について午前中はいろいろと議論をされました。私はもっとその問題についても議論をしたいと思いますけれども、しかし、その一番出発点になっているのはこの問題であります。
そこで、この橋本方針を具体化する通達といたしましては、四十七年七月一日の丹羽運輸大臣通達であったと思います。 航空局長にお尋ねいたしますけれども、これはどのようにしてつくられて、その内容の主な特徴は何であったか、簡潔にお答え願いたいと思います。
問題は、そういうインチキ文書、それが下敷きになって実は七月一日付の丹羽運輸大臣通達が出ているということなんです。この文書が出されたのは、インチキ文書が出されたのは六月二十六日です。それから数日後に、さっき文書を読み合わせていただきましたけれども、全く同一のような文書がある。基調も同じ、同趣旨の通達が出された。きわめて奇々怪々な事件なんですよ。なぜこんな文書がこんな時期に出されたのでしょうか。
○矢田部理君 そういう行政指導の上に、四十七年の七月一日に先ほどの丹羽運輸大臣通達というのを出しましたね。これはどういう内容ですか。